Artist's sense

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16 8月

ピカソについて

Posted in その他の話題, 画家・その人物 on 16.08.19 by Merlyn

  • 2019/08/16
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  • Picaso

 

 

  • ピカソについて

 

 

  • <初期>

  • パブロ・ピカソ〔出生時の姓名:パブロ・ルイス(父方の名)・ピカソ(母方の名)〕。パリに出てからパブロ・ピカソと名乗る。
  • ピカソは16歳~17歳までに美術の基礎であるデッサンを徹底して身につけた。陰影を描くことで、立体を表現するアカデミックな石膏デッサンを完成させている。

 

  • その基礎を身につける過程で石膏の白という色の表現のために実際の光と影の下で写される陰影を、ある箇所は強調し、ある箇所は省略し、実際の陰影を組み替えて表現することを試みている。
  • この時身につけた独自の表現方法は後の「青の時代」の作品に生かされている。
  • 以下、石膏デッサン作品

 

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  • 左: アカデミックな石膏デッサン
  • 背景を黒く塗りつぶし白さを描いている。
  • 右: 陰影を組み替えて、影の強調と省略をした作品
  • 画面右側の明るい部分に線を使っている。
  • 基礎を身につけていた時のことを振り返って、20代前半にピカソはデッサンはとても重要であると語っている。以下、20代前半のピカソ

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 基礎を身につけ、当時流行のアカデミックな写実絵画でも良い評判を得る。以下、当時流行のアカデミックな写実絵画、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 上: 1897年 「科学と慈愛」 197×249.5cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  1895年「初聖体拝受」 166×118cm

 

 

  • そして、19歳の時、当時画壇の中心であったパリへに出て行く。
  • パリでは印象派絵画が認められ出したころ。ピカソも印象派風の絵を描いて、個展を開くが、評価は到底納得のいくものではなかった。
  • 以下、ピカソの印象派風の絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  女と子犬、 1900年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 街の恋人たち、 1905年

 

 

 

 


 

  • <時代>

  • 1901年~1910年ぐらいの間、ヨーロッパは第一次世界大戦以前の食料難で一般市民は苦しい生活を強いられていた。そこで底辺の生活に追いやられた人々を描けと、絵描き仲間のひとりからピカソは進言される。

 

  • それで、ピカソは絵の視点を当時の一般市民の生活へ向ける。貧しい食事をする人々、苦行者、その日暮らしに近い旅芸人(サーカス)の一団などを描く。おそらくピカソがそうだったのだろう。生(なま)の人間を見つめ、困窮する人々を必死な思いで描いた。
  • ピカソは、この時定めたテーマ、後に「青の時代」と呼ばれる作品を描く時に、身につけた基礎力の中で、陰影を組み替えて創る自分独自の描き方を生かし、他のアカデミックな描き方を一切きり捨てる。それでもテーマをうまく表現できず、青だけをのこし、それ以外の色を切って、形も切った(描いている人物の腕を長くしたり、形の変形(ディホルメ)をおこなった。)と言われている。

 

  • 絵を描く状況は、まともな紙もなく、ダンボールに描いたり、外の側溝にハメてある板をはがして、その板にも描いている。困窮する生活の中で、おびただしい量のデッサン、作品を残した。
  • 以下、当時のデッサン(習作)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 画面向かって左手が短く描かれている。(ディフォルメされている)
  • サバルティスの肖像(ピカソの友人)
  • パリ、1901年、油彩、キャンバス、82×66cm
  • モスクワ・プーシキン美術館

 

 

 

 


 

  • ーーピカソがピカソになる創作の時期ーー、

 

  • ピカソはだれも見向きもしない世界に挑んでいた。
  • 当時のヨーロッパは貴族中心の社会で、貴族社会を描いた作品は評価されたが、一般市民の生活を描いた作品は評価されなかった。

 

  • しかしピカソは自分で確かなテーマと感じた、生(なま)の人間の姿を描き続けた。この時ピカソの目は人のやさしさ、弱さ、強さ、弱さから生じる人のずるさ、など人の生(なま)の感情を深く見つめた。

 

  • その時、ピカソは世界中でたった独りとなって闘い続けていたのかもしれない。
  • (何に対して闘っていたのか?は、仕事はそれ自体闘いであるが、特に新しい事、創造に関わる事はマンネリ化した既存の事に対する闘いである。ピカソの場合、当時支配的であった貴族社会に対して、掘り下げれば、人の弱さ、その産物である ずるさや傲慢さに対して、またより広く解釈すれば人のマイナスの力に対して、人のプラスのパワーとして闘っていたともいえる。)

 

  • その期間、「青の時代」、「桃色の時代」は10年弱の間続いた。
  • その間、ピカソの友人がピカソの絵をアメリカへ持って行き、売り込んだ。アメリカの美術館はピカソの絵を大衆文化を表現している作品と評価する。
  • ピカソの絵を所蔵するアメリカ人がメトロポリタン美術館へピカソの絵を寄贈する。
  • 以下、その絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • メトロポリタン美術館
  • 1904~~1905年 
  • セルマ・クライスラー・フォイ寄贈
  • 「Zervos.I.291.D.B.XII.I」
  • 194cm×112cm

 

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  • また、アメリカでは薬剤で財を成したアルバート・ C・ バーンズがまだヨーロッパで評価が低かった新しい時代を代表する画家をいち早く評価して、印象派の作家や、ピカソ、マティスなどの作品を大量に、約2500点を買っていった。それによって印象派などの画家の生活も叙じょに良くなって行った。

 

  • ※アルバート・ C・ バーンズ氏に関して、
  • その後、自宅に美術館を建て、購入した作品を展示した。しかしアメリカ社会からひどい評価を受けたため、社会が理解しないのなら公開しても意味がないとして美術館を閉館した。
  • 数十年後には当時のアメリカ社会の評価とは逆に20世紀芸術を収集した「バーンズ,コレクション」として世界が評価し、様々な所で展覧会が開かれている。また、その所蔵する美術作品によって、「バーンズ、コレクション」の資産も数十倍、もしくは100倍以上になったとも言われている。

 

 

 


 

  • <アメリカ大衆文化>

 

  • ヨーロッパに対するアメリカ大衆文化は大量生産、大量消費の元で出来上がった物として大量にヨーロッパへ流れ込み、大衆を豊かにして行った。ヨーロッパの国々は大衆文化を国の看板にかかげる様になる。

 

  • そんな中、フランスは今まで見向きもしなかったピカソの絵を大衆文化の代表的作品として評価し、ピカソを画壇の頂点に祭り上げる。時代の流れの中でピカソは底辺から頂点に押上げられた。ピカソの周りには画家、物書き、科学者、実存主義の作家、サルトル、ボーボワールなどの人間が集まるようになる。

 

  • その後、ピカソの絵は変遷して行く。
  • 1880年始めに、超古代遺跡の発掘が盛んになり、英国のクリストス・ツンタスによって発掘されたキクラデス文明は、その独特の彫刻(目と口のない彫刻)から1900年初頭、キクラデス諸島で遺跡発掘があるブームになった。
  • 当時、超古代への思いを持つ彫刻家、画家も多く現れた。その影響をピカソも受ける。そしてピカソは人間の自由で、奔放な肉体を表現した絵、「新古典主義の時代」へと進む。

 

  • その後、数学者などとの交流で、ピカソは人の感情表現から離れて、絵画上の視覚的表現方法の変革へ向かう。
  • それは見ている対象の裏の形まで描く、別な言い方をすれば、立方体の展開図の様な形を平面に描く、絵画画面の表現である。それが平面を立方体(キュウブ)の様に表現したので、キュビズムと言われる様になった。そして「キュビズムの時代」と作品を変化させて行った。

 

  • 以下、キクラデス文明の彫刻(BC5000年以前~BC2000年)

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 


 

 

  • 「新古典主義の時代の作品」

     

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  • 右:肘掛け椅子のオルガの肖像、油彩、1915年、130×89cm
  • 左:母と子、 ディテール、油彩、キャンバス、1922年   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 海辺を走る2人の女、ディテール、 油彩 合板、1922年    

 

 

 

 

 


 

 

  • 「キュビズムの作品」

     

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  •  右: 座る女、 油彩、1937年、100×18cm 
  •  左:机の上のパンと果物皿、パリ、1909年
  • 油彩、164×132cm、スイス、バーゼル美術館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 本を持つ女、、油彩、130×97cm、     
  • 1932年、ノートン・サイモン美術館(アメリカ)               
  •             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 「ゲルニカ」
  • 作品「ゲルニカ」は第二次世界大戦でヒットラーがパリを占拠した時に、美術愛好家であったヒットラーはピカソに一室を与え制作させた。その時描いた反戦の絵である。

 

 

 

 

 

 


 

 

  • 青の時代

 

  • フランスがピカソを認めだした頃、ピカソは「声明」と題して言葉を残している。その中で「青の時代」が産まれる頃を振り返ってか、次の様に語っている。

 

  • 「孤独なしには何ものも産まれて来ない。かってわたしは孤独をつくった。それについては誰もしらない。」

 

  • また、この時期のピカソのことは、一緒に暮らしていたヘルナンド・オリヴィエという女性が「ピカソと共に」と題する本を出し、その中で当時のピカソのことを語っている。

 

  • 「青の時代の作品」

   

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 盲人の食事、1903年、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  •  自画像、1904年  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 右:ヘルメットの様な髪の女、パリ、1904年、グワッシュ        
  • 左:アイロンをかける女、パリ、1904年   
  • 板、42.8×31cm        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 貧しい食事、 パリ、1904年、
  • 銅版画(エッチング)、46.5×37.6cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 右:女、彼女のシャツ、 パリ、1904年
  • 左:セレスタィーナ、バルセロナ、1903年              
  • ロンドン、テイト・ギャラリー

 

 

 

 

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  • 右:1906年
  • 左:The two Friends、1904年、 油彩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 鳥を抱く女、パリ、1904年         
  • パステル、水彩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 右:扇をもつ女、パリ、1905年、油彩 100.3×81.2cm
  • 左:苦行者、1904年                 
  •         

 

 


 

 

  • 「桃色の時代の作品」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 右:子供と座るアクロバット、1905年
  • アクロバットと犬、グワッシュ、1904年  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 母と子、 グワッシュ、1905年  

 

 

 

  • この時期、ピカソの作品は苦しい生活を強いられている人々を愛情深く描いているが、作家ピカソはその世界の中にはいない。ある意味、人に対する理想を描きながら、そこから一歩離れた所で、理想の対極にある現実を見ている様に感じられる。

 


 

  • <サルバドール・ダリ> ーー(20世紀 シュールリアリズムを代表する画家)ーー

  • 同じスペインの画家、サルバドール・ダリはピカソについて、「青の時代」の作品を高く評価し、ピカソに「青の時代」がなければ、ピカソは単なる画家でしかなく、歴史に名を残す作家ではなかった、と言う様なことを語っている。

 

  • また、ダリは、ピカソをトータルして、 ”この醜い世の中をピカソは愛そうとした。” とも語っている。

 

 


 

  • ※ 作品画像は旺文社発刊(1981年9月30) 「パブロ・ピカソ 天才の生涯と芸術」から使用。

 

 

 


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